@article{oai:setsunan.repo.nii.ac.jp:00000003, author = {Torii, Yusuke and Torii, Yusuke}, issue = {21}, journal = {摂大人文科学, The Setsudai Review of Humanities and Social Sciences}, month = {Jan}, note = {カナダ生まれの日系人S. I. ハヤカワは、1960 年代末、サンフランシスコ州立大学の学長代行として学生ストライキを強硬に鎮圧したことで保守政界の注目を集め、カリフォルニア州選出の共和党上院議員(1977-1983)を努めた。現在では主としてこの晩年の保守政治家としてのキャリアによって記憶されているハヤカワだが、かつて1940 年代から1950 年代にかけての彼は、シカゴの黒人地区に暮らし、地元の協同組合運動を指導し、主要黒人紙のコラムニストを努め、黒人音楽の文化的価値や人種偏見との戦い方について精力的に講演し、執筆するリベラルな知識人として知られていた。この大幅な政治的転向の中で、彼が首尾一貫して唱えていたのが、同化主義のイデオロギーであった。本稿は、黒人紙『シカゴ・ディフェンダー』上のコラムをはじめとするハヤカワの執筆物を主な資料とし、その同化主義イデオロギーの形成過程を彼の黒人コミュニティとの関わりの中で明らかにしようとするものである。第二次世界大戦とその直後のシカゴの黒人コミュニティは、その言論と文化芸術をコミュニティの外部に発信する「人種の仲介者」を切に求める状況にあった。ハヤカワの強固な同化主義は、その期待に応えるなかで形成されたというのが本稿の主張である。}, pages = {25--46}, title = {S. I. Hayakawa and the African American Community in Chicago, 1939-1955.}, year = {2014} }